夜明けを待ちながら

自宅待機中

夜明けの前、制作さんという仕事

俺がみんなを守るから、だれか俺を守ってくれーーー

 

と、大好きな漫画の主人公が言った。

事あるごとに反芻する。

制作陣はみんなが心地よく現場に居られるように整えるお仕事だから、

えてして制作陣が心地よく居られるかどうか、は後回しになる。

不条理、理不尽、寝不足、サンドバッグ。

それでも笑顔で現場に居なくちゃいけない感情労働だ。

 

昔はそれでいいと思っていた。

しんどくて辛くてきつくても、

私が我慢すれば、私が寝なければ、私が限界突破してやれば、現場が回ると思っていた。

しかし、ちょっとだけ下の子たちが出来て。

私がしていた我慢は、寝不足は、限界突破は、その子たちの仕事になっていく。

その時に、

私が自分だったら、上から言われたことをそのままやっていた業務だったとしても

今後、

そのスタイルのまま、最底辺が我慢して人生削って感情踏みにじられていれば回る現場のままで、

いいのか?と、自分に問うようになった。

 

彼女たちが寝不足になるかどうかは、私の采配による。

今までは、制作とはそういう仕事だと思い込んでいたけれども、

現場のことを知らない上からの指令を、

食い止めることが出来るのは、私だけなのではないか。

現場の全員からのサンドバッグになっている彼女たちを、

守ってあげられるのは、私だけじゃないか。

 

だから、この現場を、

スムーズでクリーンで、ストレスのないものにしていきたい。

制作陣の心を殺さないと利益が上げられない作品なんて

それは、商業演劇ではない、自己満足じゃないか。

 

キャストは、顔を出して対大衆に目立って矢面に立つという仕事ではあるけれども、

それは別にキャスト様、ではなくて、俳優部といういちセクションでしかないし、

スタッフだって忙しい中、だれかに愚痴ったり文句を言いたいのは分からないでもないけれど、

制作部だって人間だ。サンドバッグじゃない。

制作部の子たちを守れるのは、私だけじゃないか。

 

私は、赤の他人を、善意や厚意や慈悲や社会に一石を投じたいがためにケアしたいのではない。

あの頃の、がむしゃらながら1日に3回「制作辞めたい」って思っていた頃の若い私自身を、

抱きしめてあげたいだけなんだ。

いつかの私の代わりに、今の子たちを、

守ってあげたいだけなんだ。

 

だから、やっぱりいつまでも

戦わないと、ダメなんだ。

 

制作として、カンパニー全員に、

出来る限りのことはしたいよ。

だけど、それが「私にはできて、下の子にはできない」ことじゃ、

ダメだと思う。

 

俺がみんなを、

健康的な許容範囲のなかで、最大限、

守るから、

誰か、

どうか身近で見ていてくれるスタッフさんの一人でもいいから気づいて制作のことを一人の人間として、慮ってもらいたい、

俺たち制作のことも、守ってくれーーー