夜明けを待ちながら

自宅待機中

いま、歌舞伎が面白い。

初恋は3歳のとき、幼稚園のクラスメイトの男の子だった。

ブラウン管のむこう(と、あえて言おう)なら、タキシード仮面とセーラームーンのロマンスに憧れた幼稚園時代。

人よりちょっとおませだったかもしれない。

 

ブラウン管のむこうの、アニメじゃない”好きな人”がはじめて出来たのは、

小学校低学年のとき。

ギャルソン姿のジェントルマンは、私よりもちょっとばかり年上で、

私があと40年早く生まれていたら、結婚したかったのに!と、

小学生の頃から言い続けている。

初めて自分からチケットをねだって一人で劇場に行ったのは、中学生のとき。

あのミュージカルを彼が1000回上演達成する夏のこと。

テレビでしか見られなかった彼を、生で見られるんだ!と大興奮していた。

そして同時に、

彼が歌舞伎役者だからこそ、

「昔は逆で、劇場でしか見られない役者を、家では錦絵を見ているしか出来なかった役者を、テレビなら家でも見られるんだ!という夢の発明だったんだろうな」

と、頭をよぎったりした。

私の母はよく「子供のころはテレビがなかったから、近所のおうちに見せてもらいにいった」と話していたことも、きっと関係があったのだろう。

あのミュージカルは、いまだに私の大切な大切な宝物で

年齢を重ねてもなお、新しい気づきを与えてくれる稀有な作品だ。

 

高校生活も終盤、くらいだったろうか、

ミュージカルよりもだいぶ遅れて、

彼の”本業”である歌舞伎を見に行った。

たしか、国立劇場だったような気がするけれど記憶はおぼろげだ。

正直、

聞きなれない台詞まわしも相まって、

私にとって「彼は歌舞伎よりも現代劇のほうが素敵だなあ」という印象が残った。

 

それでも彼を好きなことは変わらなかったし、

さらに演劇という世界に片足を突っ込んでしまったため、

勉強と思ってたまに、ごくたまに、歌舞伎も見るようになった。

チケット代が高いから、他のジャンルに比べると、たまに。

どうしても見たい面白そうなやつは大枚はたいて、

ちょっと気になるやつは安い席で。

 

彼の息子については、もちろん彼に面立ちはそれなりに似ているけれど、別に何とも思っていなかった私(息子すら、私より15くらい年上だ・・・)。

それが、日生劇場で息子の主演する新演出な歌舞伎を見に行ったのが、これももう15年くらい前の話かもしれないが、

現代的な演出も相まってとにかくまあハチャメチャに面白かった。

今でも、ラメの紙吹雪の火の粉や、弁士や、ピンクの照明や、ターザンロープや階段落ちをありありと思いだせる。

歌舞伎は息子のほうが向いているのかもしれないし、

息子が新しい歌舞伎を色々模索しているのも面白くて応援したくなるな、

と思っていた20代のころの私。

もちろん、彼のことは大好きなまま、彼のミュージカルも上演される度観に行った。

 

孫との共演も、おぼろげにしか覚えていないけれど、わりと孫が小さいうちにも見た気がしてくる。

白塗りのお稚児さん、まさかあんなにお目目がキラッとしたちょっとなかなか見目のいいお子様だったなんて、客席からは気づけなかった。

三大襲名披露公演はもちろん行った。

でも、その頃はまだ気づけなかった。

孫が、たった17歳で、こんなにも美しい役者さんになるだなんて。

そして、孫のほうが息子よりも、若いころの彼を彷彿とさせて、

雑誌の見開きに載ったメイクした写真なんてまあ、この世のものと思えないゾクっとするような美しさ。

でも顔がいいだけじゃあね、と思いながら

彼と孫との共演を見に行った今年6月、

その若君の舞台姿の美しいことったら。

歌舞伎座の地下で舞台写真を売り出すようになっていて、

筋書きが1000円(1300円くらいですっけ?)なのに写真1枚500円って、

なかなか松竹さん強気ですねえ、嫌いじゃないです!買います!

と思いながら、キャッシュレスにのっかって手ぶらで観劇に行ったがために

まさかの500円が払えずに彼と孫の2ショットの舞台写真を手に入れそびれた痛恨の思い出。

孫と、1歳違いの御曹司が仲良く写真に写っているインタビューを読みながら

歌舞伎がこんな風にして売り出されたら、

若い歌舞伎ファンも増えてくれるかもしれないなあと思って

ちょっと2人の御曹司が取り上げられている記事をつい探すようになってしまった。

 

タイミングよく、ふらっと立ち寄った図書館で、彼の若いころの著書を見つけて、

のんびりと読んでいたこの夏。

著書は簡単に江戸時代や、第二次大戦のころの話題と平成を行ったり来たりして、

歌舞伎の世界にたゆたう悠久の時間を心地よく感じながら読み進めた。

そして、

私が物心ついたころにはもう不動の地位を築いていた彼が、

若かりし頃は私が想像できないくらいの美しいスターとして活躍していたのだろうと、

それが手に取るようにわかってきた。

今よりももっと芸能のジャンルが少なくて、

歌舞伎界の人間がもっと色んな垣根を越えて芝居という分野にあまねく関わっているような時期で

そういう日本に、まるで西洋スターのような美丈夫の御曹司が、

歌舞伎からドラマからミュージカルの主演までをかっさらって、

ブロードウェイやウエストエンドからすらお声がかかるなんて・・・

勿論色んな畑で活躍していたことは、私が10代の頃から知っていた事実なのだけれど、

それがいきなり実際の温度をもって感じられるようになった今、

当時の彼の持つスター性は物凄かったんだろうなと驚嘆の意を禁じ得ない。

だけれど、確実に垣根はある時代だからこそ

そこまで多岐にわたって活躍するということは

当時の歌舞伎界ではやはりパイオニア的な存在でもあったはずで、

それが日生劇場で観た息子や、

雑誌で騒がれる美少年の孫などに

脈々と受け継がれている姿勢なのだと、

やっと気づくのに20年以上かかった。

だって、私にとっては、彼があまりにも自然に垣根を越えていく姿が、最初から当たり前の姿でありすぎたのだもの。

 

そしてこの八月大歌舞伎、

彼は出ないけれど息子と孫が頑張っていて、

息子も孫も出る第三部は是非観たいなと思って、チケットを取った。

昨今、

演劇界に身を置く人間でありいちシアターゴーアーでもある制作さんとしては

どんなチケットでも、

なるべく初日に近い日を取るべきか、

しかし初日が後ろ倒しになる可能性もあるからやはり中日あたりなのか、

などなど悩むものである。

今年2月の彼のミュージカルも、絶対に観た過ぎて時期を分けて3枚チケットを取ったら、

20公演以上やる予定だったのが最終的に7公演になってしまう結果となり、

にもかかわらず7公演中の2回も観劇できた自分の幸運を泣くほど噛みしめたわけで。

 

そうして観劇まであと数日、というところで

中止の報や

代役の報、

そして復帰の報などが目まぐるしく飛び込んできた。

まず、代役を立ててそんなにすぐに出来るのがもう、物凄すぎる。

天海祐希の代役に立った宮沢りえですら、もうちょっと時間が必要だったのに、

歌舞伎界の底力を、とんでもない圧力でどーん!と見せつけられた気分。

息子はなんとか復帰してくれたものの、

一番見たかった孫が見れないじゃないか・・・!と、半分投げやりになって観に行った第三部。

当初の演出が分からないながらに、

代役であることをメタ的にいじりまくっているのがもう面白いし、

もともとの話も演劇好きもそうじゃない人も楽しめる仕掛けがてんこ盛りだし、

代役はたまにちょっと台詞を間違えたり、代役同士のシーンで台詞が被っちゃったり、もう代役の代役の・・・の玉突き事故みたいな配役になっているせいか、いっそ本役の人も台詞が飛んじゃったりしてもう大変!

客席みんなが、事情を分かっているから、そんな時にはひんしゅくどころか大爆笑。

こんなに面白いなんて、この、普通の脳みそだったら考えつかないような奇想天外な代役で観れて、

逆に良かったかも、とすら思った。

けれど!

だけど!

しかし!

当初の演出が分からないながらに、

足掛け15年以上は歌舞伎も見慣れてきた私。

「これ、、、本役は一人で二役をやっているから、つまりこのシーンは本来こうなるはずだ!!歌舞伎でよく見る見せ場のひとつ!!!」

ってくらいは、分かるようになってしまっており、

それを

どうしても

孫で観たかった・・・・!

 

という気持ちで、

チケットを探したら

なんでかまだ千穐楽のチケットが売っていて

業界のガイドラインから単純計算したら

たぶん、恐らく

松竹さんもそうするだろうなと思って、

本役で観られる保証があるわけではないけれども、

それでも、

人生で初めてかもしれない。歌舞伎の同一公演のチケット、はじめて2枚目を購入しました。

 

九月も彼が歌舞伎座出る予定だし、

まだまだ忙しいなと寂しくなる財布を眺めながら、

ちょっとここから歌舞伎沼にはまりそうで怖い。

調べたら、過去作の配信とかもあったから、

ちょっと千穐楽までに見ておきたいし。

彼に恋して早四半世紀、

初めてミュージカルを生で観劇して20年、

分からないなりに歌舞伎を観だしてから15年、

いま、

人生で初めてこんなにも、

こんなにも歌舞伎が面白い!